ミラノの歴史

近代的な都市、しかし古代…

ミラノを理解するにはこの街の複雑な歴史を知ることが欠かせません。
ミラノとミラノが属するロンバルディアは、ケルト人の都市に端をほっします。その後、東ローマ帝国、東ゴート族、ロンバルト(ランゴバルト)王国、スぺイン、そしてオーストラリアなどに数世紀にわたり支配されてきました。
紀元前222年にローマ帝国の一部となり、それ以来、長年にわたり活気があり、重要な拠点都市として機能しています。ローマ帝国の衰退により、ミラノもその勢力を失ってきましたが、1277-1447年の間ビスコンティ家が統治するなかで、富に恵まれ文化に富んだ、洗練された都市としての一時代を築きあげました。
ビスコンティ後の1450年から、ルネサンス期にスフォルツァ家の統治が始まります。スフォルツァ家の庇護のもと、ミラノの街は一層の発展を遂げます。中でもフランチェスコ・スフォルツァによって、町は強大な勢力を持つ大都市となります。有名なスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)と、街の中心である大聖堂(ドゥオモ:Duomo)は、この時代に建築されました。 この時代のもう一人の重要な領主は、経済と文化の振興に力を注いだルドヴィコ・スフォルツァです。ルドヴィコは、ブラマンテやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの著名な建築家たちをこの街に招き寄せ、宮廷や町をイタリア文化史の中でも白眉の、印象的で実用的なものとして開発しました。
ミラノは、スペイン支配の後、1796~1814年にはフランスのナポレオン皇帝の統治下にありました。その後、1859年に新しく建国されたイタリア王国の一部となり、共和国化を経て現在に至ります。

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